平本たかゆき

今回は、現代演技理論の基礎と言われているスタニスラフスキーシステムについて語りたい。
スタニスラフスキーシステムとは、ほぼ100年前、ロシアのコンスタンチン・スタニスラフスキーが自らの実践(演技、演技指導)を元にして作り上げた俳優の訓練方法である。現在、さまざまな演技理論があるが、それをたどってゆくと最終的にスタニスラフスキーシステムにさかのぼると言われている基礎中の基礎理論である。
さて、先日、スタニスラフスキーに関するトークセッションに参加した。それなりに名のある人物の主催だったので、実はかなり期待して出掛けたのだが、そこで開催されていたものはよくある空虚なアンチ・スタニスラフスキーシステム大会だった。
別にスタニスラフスキーを批判したトークセッションでも、その内容が理にかなったものであれば構わない。スタニスラフスキーシステムは完ぺきではないし、ましてや100年ほど前に考えられたものである。すべてが現代にマッチするはずもない。私はそう思ってトークを聞いていたが、残念ながら、スタニスラフスキーシステムに関する論争でよくあるように、システムをよく理解していないパネラー達や観客の的外れな応酬が続くのみであった。

まあ、ともかく、良くも悪くも「スタニスラフスキーシステム」が話題になることがこのところ多くなった。それ自体は喜ばしいことだが、実際は、日本においてこのシステムの本質を理解できている演劇関係者は本当に少ない。言ってみれば、スタニスラフスキーシステムの誤解と曲解が散布されている状態といってもいいだろう。その原因を挙げると、スタニスラフスキーシステムは、あくまでも俳優の訓練の実践の方法を記したものなので、実際にシステムを利用した訓練を積まないとその本質的な意味が判らないからだ。これを理解するのに、勘のいい人で1年、普通の人で3~5年、さらに追求したい人は10年ほど掛かるだろう。
また、このシステムの誤解を生み出している原因はほかにもあり、それは、日本に当初持ち込まれたスタニスラフスキー著「俳優修業(俳優の仕事)」の翻訳本にある。
実は、当初、日本に持ち込まれたのはロシア語からの翻訳本ではなく、色々と構成に問題のある英語版を翻訳したものが出版された。また、日本では当初、全3巻あるうちの2巻しか翻訳出版されなかった。つまり、不完全なスタニスラフスキーシステムが長い年月にわたって日本に広まったのだ。これを取り入れ脈々とその炎をつないでいるのが「新劇」と呼ばれている一群である(もちろん、新劇はスタニスラフスキーシステムに批判的なブレヒトの演技論なども取り入れているが)。
そして、さらに混乱に拍車を掛けているものは、さまざまな演技指導者が良いとこ取りをして、自由自在に改変して伝えて行ったことにある。それらを含めて「スタニスラフスキーシステム的なもの」という印象になってしまった。
そしてそして、さらにこのシステムの誤解を生み出している真打ちは、スタニスラフスキー自身である。彼はこの大長編の書物の中で矛盾を起こしている。晩年、彼は「昔言っていたことと矛盾している。。。」といったメモを残しているほどなのである。

ともかく、スタニスラフスキーシステムを語るとき、演劇、映画関係者であればその本質を理解して語る必要があるだろう。そうしないとすべてが虚しい。何事においても、批判するのも称賛するのもその対象を十分に理解してから始まるものだろう。スタニスラフスキーを語るとき、すぐに漫画「ガラスの仮面」が出てくるが、そんなことはもうやめた方がいい。

ちなみに、というかここまで書けば理解頂けていると思うが、私はこのスタニスラフスキーシステムを自らのベースのひとつとしている者である。こんな現状を踏まえ、なんらかのアクションを起こす必要があるのかもしれないと考え始めている。
そんな初春である。