終演後、熱い拍手に包まれたLucyProject公演J.P.サルトル「出口なし」公演から1週間がたった。
まだ、感動のイメージが強く残っている中、今回の公演の演出・脚色・音楽を担当し、ガルサン役としても出演した平本たかゆき氏に話を聞き、今回の公演のこと、サルトルのことを語ってもらった。
(文中太字は平本たかゆき氏)
-公演から1週間が経過しましたがご感想は?
いやあ、今回は疲れましたね。いつもなら、さあ次はとなるのですが、今回は、まだちょっと残像というかあの世界観が頭の中に残ってます。
-重いテーマの作品でしたね。
そうですね。サルトルらしいと言えばそれまでですが、彼が言う「即自」からの開放と、「対自」の実践がテーマなんですが、やっぱりどう考えてもよくわからない(笑)。ただ、他人の目や世間の評判を意識すると、自分自身が雁字搦めになってしまうということがテーマだとすれば、少しやさしく理解できるかも知れませんね。それでも、難しいか・・・。
ー地獄とは他人のことだ・・・
特にガルサンはとても一般的な男らしく(笑)、非常に世間の評判を気にしている。3度の飯より、あるいは女より名声を欲しがっている。悲しいですね。もし、他人のことなんか気にしなければ、地獄へ堕とされることもなかっただろうに。
それから、愛されたいキャラのちょっとイカれたエステルは、男の目ばかりを気にしている。おそらく、すべての男に愛されたかったんでしょうね(笑)。
その象徴として、「鏡」があるんでしょう。自分を写し出す鏡は、他人の目を気にするから必要なんです。
-そういう意味ではイネスだけは異質・・・
マイノリティではあるんだけど、この話の基軸になってるのはイネスですね。彼女だけは、他人の目を気にしていない。世間というものを、冷静な目で見つめている。同性愛者であるがゆえに、その言動に説得力がある。まあ、これは今も同じですね。その業界のタレントさんの言葉は、妙に、説得力があったりしますからね。
ー結局、なぜ3人は一緒になったんでしょう?
なぜなんでしょうね(笑)。でも、おそらくこれが別の3人だったとしても結局同じような話が展開されて「悲劇」が起こったんだと思います。なかなかシニカルでもありますね、サルトルは。
-それが、最後のボーイのシーンに結びつく。
そうです。あれは原作にはまったくなかったシーンなのですが、今回のテーマを普遍的にするために、ボーイからお客さまに呼びかけてもらいました。お客さまのうちどの3人がこの密室に入れられても、結局は悲劇が起こりますよと。
-ブラックですね。
ええ、ブラックです(笑)。でも、ラストシーン、好評のようでした。
-照明もよかったですね。
よかったですね。実はあのシーンの照明は、ドッキースペシャルといって、演じた土岐倫弘ためだけに作られたものでした。彼の顔立ちとか肌の色とかを考慮して。だから、他の役者が同じ位置に立っても、怖いだけでうまく映えない。みごとな照明でした。
-ボーイのラストシーンは、原作になかったということですが、この作品と原作との違いは?
ほとんどないですね。ストーリーは忠実に再現しています。ただ、原作の方は言葉足らずなんですよ。セリフに、具体的な説明が少し足りない。どうとでも意味が取れる。だから、余計に難解になっているように思います。今回は、そこを埋めるように言葉を足して、脚色しなおしました。それから・・・
-それから?
(笑)。それから、ひとつキーワードになるセリフを加えました。
-どれでしょう?
イネスの「私スペインからの移民なの」ってセリフです。原作では、ガルサン、エステルは、自分が住んでいた場所や、死んだ場所を語るのですがイネスだけは語らない。なぜなんだろうと色々調べたんですが、イネス=セラノって、どちらかというとスペイン系の名前なんですね。で、この戯曲が書かれた当時、フランスには、スペインやイタリアから移民が多かった時代なんです。それらの人々の多くは、マルセイユを中心とした南仏に住み着くことが多かったんです。だから、当時のフランスの人は、イネス=セラノって聞いただけで、「南仏あたりに住んでいる移民だな」とイメージできたんじゃないかと考えたんです。それで、原作ではイネスは場所については語らないんだろうと。
-サルトル「出口なし」の新しい解釈ですか?
新しいのかあるいは正しいのかどうかは判りませんが、ともかく、今も問題になっている移民の問題をこの作品にも込めました。
-とするとこの作品には、裏設定があるということでしょうか?
まあ、そうかもしれないし、そうじゃないかも知れない(笑)。それは、このお芝居をご覧頂いた方々の想像力におまかせしたいと思います。
-LucyProjectとして次のご予定は?
次は、短い作品ですが、谷崎潤一郎の「痴人の愛」をやる予定です。演劇の仲間が今年の6月に演劇祭を主催するので、そこで出来ればいいかなと。
(文・インタビュー すみれ蓮 )